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zensakka

わたしたちは何故書くのだろう?

わたしたち、同人誌に集って小説を書いているのはどんな理由とどんな意味を感じながらなのでしょう? それぞれの人にはそれぞれの理由がありますよね。

どきどき、原点に帰って思い出したり、考えたり、あるいは、時間の経過でそれが変遷していく様子をふりかえってみるのもいいことですよね。

みなさんはどんなふうにお考えですか?

閲覧数:72回3件のコメント

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3 Comments


eijima69jun
Nov 08, 2023

話題は全然違うのですが、残り五本よりない歯の一本が虫歯になり治療中なのです。歯がなくなっても生きているのは人間だけとか聞きましたから確かに人間なのでしょう。書くのは大それたことではなく単に人間だからなのかも知れませんね。生きているからかも知れません。単なるぼけ(禁止語でしたか?)防止だけなのかも知れません。それでも言葉がどんどんこぼれ落ち、いつの間にか消えていきます。付随する形や色などは思い出してもそのもの自体が思い出せなくなっています。ある有名タレント(すでに90歳近い)が幼い時に他の人が言うような言葉で物や事を説明してはいけない。自分の言葉で説明しなさいと仕込まれた、と言っていました。それではいまがそうかも知れないですね。手垢のついた言葉でなく自分なりの表現で言葉にするのは案外ボケたからできることなのかも知れないです。なんて、弁解しながら書き続けるより他がないから書いているのかも知れないです。

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eijima69jun
Nov 08, 2023

書くのはただひたすら裡なる読者に向かい裡なるPassionを作品にする。社会をのぞき見しながら書き続ける。だからこそ作品にする場があるのは有難いことなのです。協会があるのは嬉しいことなのです。言い古されていることですが、協会のひとたちが互いに切磋琢磨して佳い作品を読み合うのは素晴らしいことなのです。勉強する時間があるのは倖せな事です。残り少なくなる時間は無駄にせぬよう佳い作品を生み出し、読み全教をし続ける場にしましょう。

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やすよ ほんままこと
やすよ ほんままこと
Nov 08, 2023

なぜ書くか? そうですね、最初の頃はセルフカウンセリングだった気がします。自分の内部にあるものを言語化することでそれが整理されて、同時に外からの意見や感想がフィードバックされて、それが自分を新たなものにしてくれる、ということに助けられたように思います。次第に、セルフカウンセリングの必要性が低下して、自分の周囲のやるせないことを書いて、うったえてみると言うことをしている気がします。結局、人間って、という詠嘆になりますね。

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